東京高等裁判所 昭和54年(ネ)1841号 判決 1982年7月14日
控訴人
東健治
同
東秀実
右両名訴訟代理人
弘中惇一郎
同
西垣内堅佑
被控訴人
片桐和
右訴訟代理人
浜田脩
右訴訟復代理人
南部憲克
被控訴人
東京都足立区
右代表者区長
古性直
右指定代理人
山下一雄
外三名
被控訴人
東京都
右代表者知事
鈴木俊一
右指定代理人
西道隆
外一名
被控訴人
国
右代表者法務大臣
坂田道太
右指定代理人
小野拓美
外四名
主文
本件控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
控訴人ら代理人は、「原判決を取消す。被控訴人らは、各自控訴人東健治に対し金七六三万三五〇〇円、控訴人東秀実に対し金七六三万三五〇〇円及び右各金員に対する昭和四九年四月八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」旨の判決並びに右第二項につき仮執行の宣言を求め、各被控訴人代理人は、控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張並びに証拠の提出、援用及び認否は、次に附加するほか、原判決事実摘示(原判決三枚目―記録六三丁―表三行目から原判決三六枚目―記録九六丁―裏一〇行目まで)と同一であるから、これを引用する<中略>)。
一 控訴人ら代理人(以下、控訴代理人という。)は、次のように述べた。
1 東径一(以下「径一」という。)の死因は窒息死である。
2 仮に径一の死因が突然死であり、かつ突然死の発症の原因は、ふとんが被さつたことや吐乳吸引などによるものでなく、径一の体質によるものであるとしても、径一の突然死に至る過程の発作(普通一〇分間前後継続)中に、何らの救命処置がとられず放置されていたこと及び仮死状態の際にも何らの救命処置が行われなかつたことが死を決定づけもしくは死を早めたことは明らかである。
すなわち、保母の径一睡眠中の監視義務違反及び救命処置義務違反は少なくとも、径一の死亡について一定の寄与をしたことが明らかである。
控訴人らは右の寄与率を、少なくとも五割と考える。
したがつて、万一突然死の発症自体がやむを得ないものであつたとしても、被控訴人らは損害額の五割の範囲で損害賠償の責任が存するものというべきである。
3 万一突然死の発症自体がやむを得ないものであり、かつ、発作中もしくは発見時に救命処置がとられても、径一を救命することが困難であつたとしても、径一の両親である控訴人らとすれば、少なくとも竹の塚ベビーセンターの保母らに対して、異常を速やかに発見し直ちに救命処置を施してくれることを期待していたものである。
また右の保母らは、業として他人の幼児を預り保育している立場にある者として右の処置を施すべき義務が存したというべきである。
すなわち、右の保母らは控訴人らの期待ないし信頼を裏切つたものである。
同じく肉親を失つた場合でも、最善の処置をしたうえで死亡した場合と、苦しんでいるときにも放置され何らの手当を受けることなく死に至つた場合とでは、精神的衝撃の度合に差があることは当然である。
したがつて、仮に径一の死亡自体がやむを得ないものであつたとしても、被控訴人らは、右の理由で控訴人らに対して慰藉料の支払義務が存するものというべきであり、右慰藉料は控訴人各自について金二〇〇万円を下るものではない。
二 被控訴人ら代理人(以下被控訴代理人という。)は、次のように述べた。<以下、事実省略>
理由
一径一が昭和四六年九月二〇日控訴人らの長男として出生し、昭和四七年一二月一四日死亡したことは、控訴人らと被控訴人国を除くその余の被控訴人らとの間においては争いがなく(径一が死亡したことは、被控訴人国との間においても争いがない。)、被控訴人国との間においては、<証拠>により右事実が認められる。
そして、<証拠>によると、控訴人ら夫婦は、共に株式会社ソニーに勤務していたこと(控訴人東健治が会社員であることは当事者間に争いがない。)、控訴人らは、当時控訴人らと同居していた控訴人東秀美の実母行永秀子が病弱であつたことから、径一の保育を同女に委ねることができず、そのため、径一を当時控訴人らが居住していた東京都足立区内の公立保育所に入所させたいと考えていたこと、控訴人東秀美が被控訴人足立区の係員に尋ねたところ、同区においては、生後八か月以上の児童でないと公立保育所に入所させない取扱である旨説明されたこと、そこで控訴人らは、被控訴人東秀美の産休が明けた昭和四六年一一月初めころから径一を同区内の私立の保育園であるゆりかご保育園に預けていたこと、同保育園の保育時間は、午後三時三〇分までであつたこと、そのため、右保育時間後は右行永秀子が径一の面倒を見ていたが、その後右行永が病気で入院する事態となつたため、被控訴人足立区の紹介により保育時間の長い被控訴人片桐和が経営する竹の塚ベビーセンター(以下、「本件保育園」という。)に保育を委託することとなり、昭和四七年三月二〇日過ぎころ、被控訴人片桐和との間に休日を除く毎日午前七時四五分から午後五時までの間の径一の保育を委託する旨の保育委託契約を締結したこと、径一は、同年四月から前記死亡の日まで本件保育園に通園していたことの各事実が認められ<る。>
1 本件保育園は、東京都足立区伊興町前沼一三二五番地所在の木造スレート葺(一部トタン葺)平家建の建物(床面積132.0平方メートル)の一部(床面積111.0平方メートル)を園舎として使用していたものであつて、その位置、間取り、使用状況等は別紙(一)(平面図)のとおりである。
2 本件保育園には本件事故発生当時約五四名の児童が在園していたが、その全員が毎日通園していたわけではなかつた。これらの児童は、年齢別に零歳児(一二名位)、一歳児(一六名位)及び年長児(一五名位)の三グループに分けられ、零歳児は前記図面表示の④の部屋(一二畳間)、一歳児は③の部屋(17.5畳間)、年長児は②の部屋(六畳間)及び①の部屋(4.5畳間)で保育されていた。零歳児部屋及び一歳児部屋には児童の数に見合うベビーベッドが置かれていた。径一は、入園当初零歳児のグループに入れられたが、本件事故当時には一歳児のグループに入れられ、③の部屋で保育されていた。
3 本件保育園の保母は、本件事故当時木村昌子、片桐康子、中山房子、西郡コト及び清水いえ子の五名であつたが、ときには被控訴人片桐和が手伝うこともあつた。右五名の保母は、いずれもパート・タイムで雇われていたものであつて、保母の資格試験に合格して正式の資格を持つていたわけではなく、看護婦の資格もなかつた。本件保育園には被控訴人片桐和を含め、他に保母あるいは看護婦の資格を有する者は勤務していなかつた。
4 本件事故当時、一歳児グループと年長児グループとは木村保母、片桐保母及び中山保母が担当し、零歳児グループは西郡保母及び清水保母が担当して、園児の保育をしていた。
被控訴人片桐和は、同年一〇月ころから内縁の夫の入院、死亡、実母の入院などが続いたため、その看病などで本件保育園での保育業務に携ることができず、人手不足の状態であつたが、これを補うため、保母を募集中であつた。
5 本件事故当日、清水保母は休みで残る四名の保母が勤務していた。
径一は、朝いつもより一時間位遅れて父親である控訴人東健治に連れられて登園し、木村保母に預けられたが、その際径一に何らの異常も認められず、同控訴人も径一の健康状態に関する連絡をしなかつた。
6 一歳児と年長児童担当の中山保母及び木村保母は、午前一〇時三〇分ころから約三〇分かけて一歳児に食事を与えた。径一は、木村保母から食事を与えられたが、摂取量はいつもより少なかつた。その間、片桐保母は、年長児の面倒を見ていた。
7 一歳児の食事が終つた後、中山保母と木村保母とは、一歳児のおむつを替え、次に年長児の部屋に移つて年長児に食事を与え始めた。それまで年長児の面倒を見ていた片桐保母は、食事の終つた一歳児にミルクを入れた哺乳びんを配つた。径一は、ベッドに仰向けになつたまま哺乳びんを持つて二〇〇cc全量を飲んだが、変つた様子はなかつた。
8 片桐保母は、間もなく一歳児の哺乳びんを回収したが、その際、径一は、ミルクを飲みおわつてまだ眠りに就いてはいなかつたものの、ベッドに仰向けになつたまま静かにしており、掛けぶとんは胸の辺りまで掛かつていた。やがて、径一を含む一歳児は、いつものように昼寝に入つた。
9 その後右三名の保母は、年長児を便所に行かせたあと、年長児の部屋にふとんを敷いてこれらの児童を寝かせ、正午過ぎころから径一らが寝ている一歳児の部屋の中央付近で三人一緒に昼食をとつた。その間径一は、静かに寝ており、泣いたりすることはなかつた。
10 片桐保母は、間もなく美容院に行くため外出したが、その際、園児のひとりひとりについて確認したわけではないが、一歳児の児童に異常がないことを確認して外出した。
11 残つた木村保母と中山保母は、午後一時ころ昼食を終つた。中山保母は、後片付けをしたあと直ぐ外出した。木村保母は、既に目覚めている一歳児のおむつを取り替えた後、年長児の部屋へ行つたが、径一は、まだ目覚めていなかつたので径一のおむつ替えはしなかつた。木村保母は、年長児部屋に行つたところ、まだ寝つかれない児童がいたので一歳児部屋との境付近で寝かしつけていた。その間、径一に泣くなどの異常は認められず、年長児が一歳児の部屋に入ることもなかつた。
12 中山保母は、午後二時ころ外出先から帰り、本件保育園に戻つた、その際、一歳児部屋に保母はいなかつたが、年長児部屋と一歳児部屋との境付近で木村保母が年長児を寝かしつけていた。中山保母は、木村保母がまだおむつ替えをしていない一歳児のおむつ替えを始めた。最後に径一のおむつを替えようとしたところ、径一は、顔のところまでふとんを被つて寝ていた。同保母がふとんを顔のところだけ剥いだところ、径一の顔が青かつたので異常を感じ、木村保母を呼んだ。木村保母は、径一の顔を見たところ、青ざめた色をしていたので、どうして良いか判らず、保母の中で最年長の西郡保母を呼んだ。西郡保母は、直ぐに径一を抱いた。径一は、抱かれたとき薄いチョコレート色の液体を吐いた。木村保母は、直ちに救急車を呼ぶ手配をした。西郡保母は、前に救急車を呼んだが道が判らずその到着が遅れたことがあつたので、保育園から歩いて五分位の距離にある竹ノ塚病院へ連れていつた方が早いと考え、径一を抱いて同病院まで連れて行つた。木村保母もこれに付き添つた。同病院に運ぶ途中、径一にはまだ息があつた。同病院で医師の診察を受けたのは午後二時三〇分ころであつたが、その時は四肢に冷感があり、顔面にチアノーゼが認められ、心音も停止し、瞳孔も散大するなど既に死亡状態であつた。医師は、径一に対し、応急人工呼吸、酸素吸入、強心剤、昇圧剤の注射、気管内吸引などの処置をしたが回復することなく、同日午後二時五〇分右医師によりその死亡が確認された。
右認定の各事実によると、径一は、昭和四七年一二月一四日午後二時ころ中山保母により異常が発見されてから同日午後二時三〇分ころ竹ノ塚病院で医師の診察を受けるまでの間に死亡したものと認められる。
三<証拠>によると、径一の遺体は、翌一五日被控訴人片桐和に対する業務上過失致死被疑事件につき、司法解剖に付され、東京大学医学部法医学教室の山沢吉平助教授及び三木敏行教授により解剖検査が行われて径一の死因についての鑑定が行われたこと、解剖所見のうち、特筆すべきことは、径一の遺体に創傷は認められないこと、胸腺は、四〇グラムの重量で、表面(前面)に半米粒大以下の溢血点が極めて多数存し、断面にも表面と同様の溢血点が極めて多数存在すること、気管上部には異物は殆ど認められず、気管分岐部より上三センチメートルの部より下方の気管支内には淡黄褐色粘稠内容がやや多量に存し、一部カゼイン様の粉末を混ずること、胃には乳白色粘稠内容を容れ、気管内に認められたカゼイン様の塊が粟粒状で僅かに混ずること、副腎は、皮質リポイドの量が少なく、やや発育不全で、髄質内一部に出血性の変化があり、一部に二ミリメートル×一ミリメートル大の陳旧性出血様部があり、食細胞が散在すること、肺の間質に多型白血球、形質細胞が比較的多いこと、肝は、肝細胞の配列がやや不規則で、リポフスチンが著明に沈着していることであつたこと及びその鑑定結果は、次のとおりであつたことが認められる。
1 遺体に創傷は認められず、死因と関係のある明瞭な疾病も認められないが、窒息あるいは急死の際に一般的に見られる所見である肺表面、心漿膜面、眼結膜やその他の粘膜の溢血点が著明(心・肺表面には特に著明。)で、心臓内容液は流動性であると見られた。
2 先ず、窒息の可能性であるが、遺体の頸部や鼻・口周囲に創傷は認められず、これらの部位に窒息の一因である絞扼頸、あるいは暴力的な鼻口閉塞があつたとは考え難く、非通気性のあるふとんやシーツにより顔面が履われた場合でも生後一か年を経た径一のような普通の発育状態の幼児では、十分自力ではねのけることが可能なものと考えられる。又、気管、気管支内には小許の胃内容物が存するものの、泡沫を混ぜず、その量も気道を閉塞する状態とはなつておらず、単なる胃内容物吸引のみが原因の窒息も否定される。しかし、右の二つの条件がたまたま同時に起つた場合には、窒息死に至るであろうことは全く否定できないが、極めて稀な事故といわなければならない。
3 一方、乳幼児に全く原因不明の突然死というものが経験されており、この場合は、解剖検査を行つても右1のような窒息死あるいは急死に見られる所見以外の異常な所見は殆どみられない。現在の医学においては、その原因の解明がなお十分ではなく、ウイルスによる感染が死の近い過去にあつたとか、内分泌系の異常があるとか、血管に異常があるとかの諸説があるが、いずれも確定的なものではない。
4 しかし、径一の遺体の病理組織学的検査によると、内分泌器官である副腎に出血性の変性部が存し、肺にはその間質に白血球や形質細胞が多く、その他肝臓にはリポフスチン様物質の沈着が著明に見られるなど径一が生前全く健康であつたとはいえない所見がかなりあり、このような異常所見があれば、突然死を来しても差し支えないものと考えられる。
5 以上の事実関係のもとにおいて、径一は、生前何らかの軽微な異常を身体に有し、そのためいわゆる乳幼児の突然死の発作を来して急死したと考えるのが相当であると認められる。そして、2の胃内容物の吸引はこの発作中に発生したものであると認むべきであり、この外的な原因がその死を早めたことも否定することはできない。
以上の認定に反する証拠はない。
四控訴人らは、径一の死因はふとんが径一の顔に被さつたこと、吐乳が気管に入つたこと、年長の児童が悪戯をしたことのいずれか若しくはこれらが競合して惹起された窒息死であると主張する。しかしながら、
1 先ず、年長の児童が径一に悪戯をしたため径一が窒息したとの点については、これを認めるに足りる証拠はない。
2 次に、吐物が気管に入つたことによる窒息死の可能性について判断するに、径一が西郡保母により抱き上げられたあと薄いチョコレート色の液体を小量吐いたこと、遺体解剖の結果、気管上部には異物は殆ど認められないけれども、気管支内には淡黄色の粘稠内容がやや多量に存し、一部カゼイン様の粉末が混じつていたが気道を閉塞する状態とはなつていなかつたこと、胃内には、乳白色の粘稠内容中に気管内に認められたカゼイン様の塊が粟粒状で混在していたことは前認定のとおりであり、前顕甲第四三号証によると、径一が竹ノ塚病院に運び込まれた直後、医師が気管内にカテーテルを挿入して気管内内容物を小量吸引したことが認められる。右各事実によると、径一は、西郡保母に抱き上げられた後、胃内容液(カゼイン――ミルク中の隣蛋白質が胃酸によつて固まつたもの――を含む。)を吐き、竹ノ塚病院に運び込まれたときには気管支のみならず、気管内にも右吐物が小量あつたと推認される。しかし、右の気管及び気管支内の吐物が果して径一を窒息せしめるに足りる量であつたかどうかについては明らかでないのみならず、<証拠>によると、当時径一が使用していたふとんについて事故後二四時間経つて実況見分が行われた際、シーツが、敷ぶとんの赤色が転色したように赤味を帯びており、敷ぶとんの端が湿つぽい感触であつたと認められるものの、右のシーツの赤味は事故以前からあつたものであり、そのほかには保母が抱き上げたときに吐いた薄いチョコレート色の吐物の跡や気管支内に存した淡黄褐色の粘稠内容、カゼイン様粉末など径一が吐いたと認められる吐物の付着があつた形跡は認められないし、前認定の西郡保母が径一を病院へ運ぶ際にはまだ息があつたことにも照らすと、径一がその異常を発見される前の時点において、胃内容物を吐いたとは考えられず、吐物の吸引により窒息状態に陥り、それが原因となつて死亡したとも認め難い。
3 ふとんが径一の顔に被さつたことによる窒息の可能性について検討する。片桐保母が哺乳びんを回収したとき径一はベッドの中で静かにしており、胸の辺りまでふとんが掛つていたこと、中山保母が径一のおむつを取り替えようとして径一の異常に気付いた時、径一が顔のところまでふとんを被つて寝ていたことは、前認定のとおりである。そして、<証拠>によると、乳幼児が睡眠中顔にふとんを被り、いわゆるふとん蒸しの状態になつたときは、顔面に接した厚いふとんの中の空気を繰り返えし呼吸することにより、その空気中の酸素濃度の低下を招き、酸素欠乏と二酸化炭素の蓄積が起こり、とりわけ単位体重当たりの酸素需要が成人に比して高く、特に脳の酸素消費量の極めて高い乳児(満一歳以下)にあつては、ふとん内空気の繰り返し呼吸が容易に窒息死に誘導される危険があるとされていること、乳児はふとんを払いのけたり、体位を変える筋力に乏しいこと、生後一年二か月を経た径一のような普通の発育状態の幼児は、ふとんにより顔が覆われた程度では自力ではねのけることが可能なものと考えられるが、幼児がふとんを自力ではねのけられるかどうかは、幼児の筋力にも左右され、他方ふとん自体の重量にも左右されるものであると考えられる。そこで、径一が顔をふとんで被われたことにより窒息した可能性につき判断するのに、中山保母が径一の異常に気付いた時に径一の顔にまでふとんが掛けられていたことは前叙のとおりであるが、右事実を超えて、ふとんが径一の口や鼻に密着していたかどうかなど、その具体的状況については明らかでなく、どの程度の時間右の状態が継続していたかも証拠上明らかではない。以上の諸点を併せ考えると、径一の異常発見時にその顔にふとんが掛かつていたとの事実から直ちにそれが原因となつて窒息して死亡するに至つたと推認することはできない。また、右、及びの要因が競合して窒息死に至らしめたことを認めるに足りる証拠もない。控訴人らの右主張は、採用することができない。
五ところで、<証拠>を総合すると、次の事実が認められ<る。>
1 我が国において昭和四二・三年ころ、一見健康そうに見えた子供が外観的に原因不明のまま急死したという場合で、解剖してみても直接死因となつた原因が全く判明しないという乳幼児の突然死についての報告がなされた。
2 乳幼児の突然死についての名称は、昭和四四年の国際会議でSudden in-fant death syndrome (SIDS)に統一され、我が国では乳幼児突然死症候群と呼ばれている。
3 その原因については、乳児が睡眠中何らかの原因で気道の閉塞があつたり、寝る姿勢が悪いために鼻腔が圧迫されて狭くなつたりして、次第に酸素不足(低酸素症)を起こし、そこに、他の何らかの因子、例えば、風邪をひいているとか、あるいは自律神経の異常や生化学的な異常が重なつた場合に、低酸素症が基盤となつて、喉頭の痙攣を起こして窒息するとの説、アレルギーに起因するとする説、内分泌系の異常に起因するとする説、ウイルス感染によるとする説等いろいろの学説が唱えられているが、いずれも仮説の域を出ず、その原因はいまだに解明されていない。そのため、現段階では、予防法等に決定的なものがない。
4 アメリカでは毎年八〇〇〇件から一万件の突然死例があるといわれており、発生頻度は出生一〇〇〇人に対して一人ないし三人で乳幼児死亡の一〇パーセントないし二〇パーセントを占めている。我が国では、吉村公一の報告によると、昭和四六年から昭和五〇年までの東京二三区内の統計では、出生一五〇〇人から一七〇〇人に対して一人の割合であり、乳幼児死亡率の五パーセントないし七パーセントを占めているという。
5 乳幼児の突然死は、生後七日から二年間の間に見られるが、最も発生頻度が高いのは生後六・七か月で、それ以上では減少し、生後一年以上でも発生するものの、その頻度は零歳児に比べて非常に低い。
内藤寿七郎を中心とする研究グループの「乳幼児の突然死に関する研究」(昭和四六年度医療研究)の研究報告書(甲第三五号証の一、二)によれば、愛育病院保健指導部が昭和三三年七月から昭和四七年三月三一日までの間に取り扱つた乳幼児中の突然死の発生頻度は、乳児(零歳児)が約一、二五〇人に一人(約0.07パーセント)の割合であるのに対し、一歳児は約六、三〇〇人に一人(約0.016パーセント)の割合であつたとされ、また、外国の調査例でも、ワシントン市における一一九例中一例(バーグマンの報告)、北アイルランドでは全症例中一ないし二パーセントが一歳児以上(カーペンターの報告)(ただし、最年長は一歳三か月)であるほかはすべて零歳児であつた。
6 発生頻度を性比で見ると、男1.3に対して女一の割合で、男の方が多い。
発生時期は、睡眠中に多く発生し、その理由としては、睡眠中特にレム期(逆睡眠期)には交感神経と副交感神経とのバランスが崩れることが経験されていることから、これが関係しているのではないかと考えられている。
7 突然死の発生機序は、いまだ明らかにされていない。突然死の発作として舌が突然沈下して気道を閉塞し、呼吸が止まる、あるいは痙攣を起こすということが知られており、呼吸停止の発作が五分間位、長くても一〇分間位続くと死に至る危険が極めて高く、発作が収まつてぐつたりした状態であつたり、顔面が紫色になるチアノーゼが消えて顔が蒼白となつた状態では、どのような救命処置を行つても回復させることはできない。又、乳幼児に起こる突然死の発作では、殆ど声を上げることはないとされている。
8 突然死で死亡した乳幼児の遺体解剖例では、一般に非常に太つた栄養の良い子が多く、胸腺の発育が良好で軽度に肥大しており、副腎皮質の発育不全、甲状腺が小さいといつた内分泌器官の異常、肺の組織内に好酸球(白血球の一種)の増加傾向が見られるというのが共通して見られる所見である。
9 径一の胸腺の重量は、四〇グラムであつたが、通常児の場合は二五グラム程度であるから、それに比して発育は良好である。胸腺は気管の前にあることから、これが大きいと気管を圧迫する率が高い。そのため、胸腺が大きいということが突然死を来しやすいとの指摘もある。
10 径一の副腎の皮質リポイド量は少なく、やや発育不全で、髄質内の一部に出血性の変化があり、陳旧性の出血跡があつて、食細胞があつた。これらの所見は、以前に副腎髄質の一部に出血性の変化があつたことを確実に示すものである。副腎の出血というのは、通常の乳幼児には全く見られないことであり、これらの所見は、原因不明の乳幼児の突然死に一般的に見られるものである。
11 径一の肺にはその間質に多型白血球や形質細胞が多く見られた。白血球や形質細胞は、肺炎などの肺の疾患が起きたときに多量に生じるものであることから、径一は、明らかな肺炎とはいえないまでも、軽度の炎症性の肺疾患を起こしていたものと考えられる。
12 径一の肝臓にはリポフスチン様の物質の沈着が著明に見られ、肝細胞の配列はやや不規則であつた。肝臓の機能が低下している者は、肝臓にリポフスチン顆粒が多量に存することが多い。したがつて径一も肝臓が普通の子に比べてやや弱かつたと考えられる。肝細胞の配列がやや不規則であつたこともこれを裏付けるものと考えられる。
以上の認定各事実を総合し、前認定の本件事故発生に至る状況及び鑑定結果を併せて考慮すると、径一は、突然死の発作を起こして死亡した蓋然性が最も高いと認められ、その死因は、乳幼児突然死症候群であると認められるのが相当である。
六控訴人らは、径一の死因が突然死だとしても、突然死は、生活水準が低い、保育面積が少ない、衛生状態が悪いなどの保育環境や社会経済的要因と関連のあることがデータ的に確認されており、乳幼児にとつてその生理と矛盾する劣悪な環境がストレスを蓄積させ、身体のリズムを狂わせて抵抗力を弱めているのであり、これが突然死の重大な要因になつていると主張し、本件においても本件保育園の環境の劣悪さが径一の死亡の原因になつており、このような環境を作出しあるいは改善しないまま放置した被控訴人らに責任があると主張する。
しかし、乳幼児の突然死については、いまだその原因や発生機序が明らかでないことは先に認定したとおりであり、本件においても、本件保育園の保育環境が径一の死亡の原因になつているとの点については、これを認めるに足りる証拠はない。控訴人らの右主張は、採用の限りではない。
七控訴人らは、突然死の場合における死亡に至る経過は別紙(二)図面のとおりであり、保母は、児童が睡眠中に低酸素症にならないように換気や児童の体位、特に首や顔の位置が悪くないか、鼻づまりやせきで苦しそうにしていないかなどに注意をし、絶えず目を離さないようにすべき義務があり、このような義務を尽くせば低酸素症の段階までにチェックができ、死亡に至るのを防止できるのに、本件保育園の保母らは、径一に食事を与えた後径一の部屋から離れ、その間径一が泣き叫ぶなどの異常を示したにかかわらず、死亡するまでの三時間にわたつて径一を観察することなく放置し、適切な措置を怠つたと主張する。
しかし、<証拠>によれば、控訴人ら主張の突然死における死亡に至るまでの経過は、ひとつの仮説として考えられているに過ぎないことが明らかであるし、前認定のとおり、乳幼児の突然死の原因、発生機序については、現在の医学上いまだ解明されるに至つていないのであるから、右のような仮説を前提とする控訴人らの右主張は採用することができない。
なお、本件事故当日における径一に対する前記保母らの措置は、先に認定したとおりであつて、右保母らについて、長時間にわたつて径一の観察をせずに放置したりした事実があつたとも認められず、右の保母らは、径一がミルクを飲んでから眠るまでの間に異常がないことを確認しているのであり、径一が眠つてからも、その部屋の径一のベッドの見える位置で食事をし、かつ片桐保母が外出する際には一歳児部屋の児童に異常がないことを確認しているのであるし、一人残つた木村保母も一歳児のうち早く目覚めたものから順におむつ替えをしていたものであり、異常を発見されるまでの間に径一が泣いたりしたことも認められないのである。右事実に照らせば、右保母らに径一の保育に関して過失があつたということはできない。
八控訴人らは、更に、径一の突然死の発作中に何らの救命措置がとられず放置されていたこと及び仮死状態の際にも何らの救命措置が行われなかつたことが死を決定づけもしくは死を早めたことは明らかであり、保母の監視義務違反及び救命措置義務違反は少くとも径一の死について五割の寄与をしたことは明らかであるから、突然死の発症自体がやむを得ないものであつたとしても、被控訴人らは、損害額の五割の範囲で損害賠償の責任があると主張するが、先に認定した各事実に照らすと、右三名の保母において睡眠中の監視義務違反や救命措置義務違反があつたとは認められないから、控訴人らの右主張を採用することはできない。
控訴人らは、径一の突然死の発症がやむを得ないものであり、径一を救命することが困難であつたとしても、その両親である控訴人らは少くとも保母に対し、異常を速やかに発見して直ちに救命処置を施してくれることを期待していたものであり、保母らもその処置を施す義務があつたものというべく、保母らは控訴人らの信頼ないし期待を裏切つたものであり、そのため、径一は苦しんでいるときにも放置され、何らの手当を受けることなく死亡したものであつて、これにより控訴人らの被つた精神的苦痛は、最善の処置を受けたうえ死亡した場合に比べて大きく、これを慰藉するに必要な金額は控訴人ら各自金二〇〇万円が相当であり、被控訴人らはこれを損害賠償として支払う義務があると主張する。
しかし、右保母らが径一の異常を発見し得なかつたことにつきその過失を問うことができないのは前叙したところから明らかであり、かつ、前認定の各事実によれば、異常を発見した中山保母が他の二人に協力を求め、西郡保母が突差に医師に診せる必要があると判断し、過去の経験から救急車を呼んだのでは余計に時間が掛かるとの考えから、直ちに徒歩五分位の場所にある竹ノ塚病院に連れて行き、医師の診察を求めたのは適切な措置であつたと認め得るのであつて、控訴人らの右主張も採用し難い。
九以上によれば、控訴人らの被控訴人らに対する本訴請求は、その余の判断をするまでもなく失当であるから、いずれもこれを棄却するほかはない。
一〇よつて、控訴人らの請求を棄却した原判決は相当であり、本件各控訴は、理由がないから、民訴法三八四条に従い、いずれもこれを棄却すべく、控訴費用の負担につき同法九五条、八九条、九三条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(園部秀信 川上正俊 渡邉等)